「アングラ」の天井が続く先

劇団員の鈴木千晴が出演する舞台『糸地獄』を観に行く。
会場は「 西戸山野外円形劇場 」、最寄りは新大久保。初めての場所だなあ、と思っていたが、着いてみると東京グローブ座と同じ敷地内にある。これは…グローブ座と同じ資本でやっているのだろうか?しかも、周囲はタワーマンションである。受付では住人(観劇するわけではない)が、音に関するクレーム的なものを具申していたりなど、始まる前からなかなか不穏な空気。でもまあ、これぞアングラですからな。都心の杜にこんな野外劇場があることなど、ほとんどの人が知らないのでは?そして、音の問題などを考えるに、実際の上演をあまり考えずに作っているのかもしれない。

さて、本日は19時開演。
夏の野外は、19時にはまだ完全に明るくて、芝居が進むにつれて暮れなずんでいく空を借景に計算するのも演出の腕の見せ所。風が役者の白い衣装裾を吹き上げるのも、電車の音や鳥の声が俳優の声に混じるのもしかり。きょうは雨は降らない。(雨の日もまた見どころは増えてそれはそれで面白いのだが)

岸田理生さんの台詞は歌によく合う。
いや、もはや全編歌と言っていい。すべてが象徴的で、細かいVerseの繰り返し。
描かれる構図は母対娘。その背後にいる顔のない父と、その式神のように立ち回る男たち。
廻り続ける糸車とそこから延々と紡ぎだされる糸は、人間の生命の営みと断ち切れない血のつながりを表しているよう。以前にどこかで観た『糸地獄』は、狭い薄暗い空間に熱気が立ち込めて、まさに女工たちの地獄を観ているようだったが、今回の作品は都会の空のもと、ギリシャ野外劇場ばりの開放空間。言葉遣いと全体が観えない客席のせいでただでさえ拡散しやすいイメージがが凝縮していかないのが悩みの反面、遠くから聞こえる俳優の声に耳をすませば、簡単に別世界に心が浮遊する。

『六十年代演劇再考』(扇田昭彦による)に照らし合わせてみると、身体性偏重の演技、野外に本火を焚いての演出、笑いや音楽の使い方、など表面的な部分ではこの芝居がいわゆる「アングラ」であることは疑い得ない。

「伝統演劇との接点の変化」「演劇における理論化の作業」「演劇運動」「海外公演の増加」

このあたりはどうだろう?アングラとはひとつの運動だったわけで、時代に咲いた徒花のようなアングラ演劇の隆盛は、とうに昔のものになっている。現在「かつてのアングラ」だった作品を上演しようとする人たちは、このあたりをどう考えているのだろうか。単純にその戯曲のもつイメージや強さに惹かれて、ということだと少しもったいない。岸田理生が時代に向かって投げつけた言葉も、それを受け取った社会もとうに昔のものなのだから、アンチテーゼとしての政治性が取り払われたエンターテインメント作品としてこれらの戯曲を再びよみがえらせる、という試み、それは今、徹底して戦略的に行われていてもいい。

この都会の現代建築の中に現れた円形広場(その「オモテ」にあるグローブ座の経営を担うのは今、メジャー中のメジャー、ジャニーズ事務所のようである)に、エンターテインメントとしてかつて女性が絡めとられていた「地獄」を構築しようとした吉野翼企画の『糸地獄』は、試みとしてアグレッシブで演出の剛腕を感じるものである。音響設計をもっとしっかりしていたらさらに多くの人に演出家がやりたかったことを伝えることが出来ただろう。月のかかった夜空を仰いで女たちは自らの身体にながれる血の縁のつらなりを呪ったのだろうか、託ったのだろうか、寿いだのだろうか。「うた」にのってながれていく、女たちの叫びを聞きながらふと会ったこともない祖母のことを思い出したのは必然だったのだろうか。

第12回岸田理生アバンギャルドフェスティバル
リオフェス2018 参加作品
吉野翼企画
『 野外劇 新譚 糸地獄 』
原作 岸田理生

日時 2018年6月21日(木)~24日(日) 全4回公演
開演 各日 19時~
開場 各日 18時半~
前売り¥3800
当日 ¥4000
公演会場 新宿 西戸山野外円形劇場(シェイクスピアアレイ)