文化するプロジェクト

先日ある方と話している時に、突然に現れたこのキーワード「文化する」。
文化=Cultureの語源はラテン語の「Colere」(耕す/崇める)。「自然」=Natureに相対する、人の手が入ったものを大まかに表すことができる。このワードは意味も概念も広すぎて精神面から攻めると「神秘性」や「政治性」に邪魔されて思念が頓挫する。イデオロギーや帝国主義の温床となるような文化についてここで議論するつもりはないのでサクッと言ってしまうと、「文化する」ところに文化が残っていくのだ。

「文化するってなによ」と思った方は、シンプルに日本語で解体してみてほしい。
「文・化」するのである。
文章化、といえばあっさり通じるだろうか。
なあんだ、とのたまう勿れ。
先日の、「感覚」でものを作る話からこれはつながっている。

私たちは、日々色々なことを感じて生きている。
風が気持ちいい、雨の匂いがする、今日は少し体が重い。
思う、それを口に出す。
誰かがいればそこに会話が生まれる。
互いの心にのみ残るダイアローグの風景は、日々の「思い出」になる。

暑い、コーヒーが美味しい、子どもの笑顔がかわいい。
思う、それを文章にする。
誰かに読まれるかもしれない文章にする。
それを読んだ誰かが、コーヒー豆を買いに出かける。

その人も文章に書く。
それを読んだ誰かがまた、コーヒー豆を買いに出かける。
喫茶店に行くかもしれない。

文は残る。
5分後、10時間後、7日後、2年後。
その文章を目にした人がどう思うかはわからないけれど。

どんなに(他人にとって)つまらない(かもしれない)ことでも、自分にとって大切なことは「文化する」ことだ。

こんな簡単なことに最近まで気が付かなかったのは、いかがなものか。
でも、今、気づけていることに喜びを禁じ得ない。